チョコレートの歴史

カカオの木

カカオの木やチョコレートの木と呼ばれている樹木の学名はテオブロマ・カカオ (Theobroma cacao) です。テオブロマはギリシャ語で【神 (theos)】の【食べ物(broma)】を意味します。カカオの木は中南米が原産で、木が生長できるのは赤道を挟んで南北の緯度が20度以内の高温多湿の地域に限定されます。東アジアで言えば、ベトナム付近がカカオ栽培の北限にあたります。日本では暖かい地域とされる、沖縄や鹿児島でも栽培は出来ません。生育には日陰と湿気が必要で、カカオ農園では葉の茂る大木の間にカカオの木を混ぜて植えています。収穫できるようになるまでに少なくとも3、4年かかり、成熟するまでは10年かかります。30年ほど栽培した後は経済的に採算がとれなくなりますが、木そのものは200年以上生きるそうです。幹に直接花を咲かせ、長さ20~30cm程のラグビーボールのような形をした大きな実をつけます。この中には白い果肉に包まれた種子が30~50粒入っています。これがカカオ豆です。

誕生

古代マヤ文明 (中米のグァテマラやホンジュラスなどが中心地域) の人々がカカオを使っていたことは、壺に描かれた絵文字や絵によって明らかになっています。マヤの壺には、チョコレートの収穫、調理法、使用法まで描かれています。カカオ豆は炒った後で、石臼ですりつぶし、トウモロコシの粉や香料を加え、飲んでいました。このカカオ飲料は甘いわけではなく、苦みがあり刺激の強い飲み物で、薬用飲料に近いと思われます。この時代にはまだ砂糖はなく、甘くするには蜂蜜などを使用するしかないのですが、甘くして飲むことは稀でした。

硬貨

マヤ文明や次に台頭したアステカ文明 (メキシコが中心地域) では、カカオ豆は金や銀と共に硬貨として使用されます。1545年当時の市場では、鶏の卵がカカオ2粒、オスの七面鳥がカカオ200粒で取引されました。カカオ豆は特定地域の産物ですが、大陸全体で消費されていて、保存もきき運搬に便利なことも貨幣としての流通に一役買っていました。貨幣としての価値が高いカカオ豆に目をつけ贋金 (にせがね) を作る者も現れます。アボカドの核をカカオ豆の殻で包んで似せるやり方などがありました。

宗教的役割

マヤ文明、アステカ文明では、カカオは宗教的な役割も担っています。農作物の豊作祈願や、誕生、成人、結婚などの慶事、また弔事の際にカカオ豆が神に捧げられました。結納や結婚式の引き出物にカカオが使われることもあったようです。カカオの栽培家は他の職業同様に独自の神をもっていて、カカオの木を植えることもまたひとつの儀式でした。

ヨーロッパ上陸

アステカ帝国は16世紀前半に滅び、スペインの植民地になります。カカオは入植したスペイン人の知るところとなりますが、彼らの味覚には甘みのない刺激的なカカオ飲料は口に合いません。また、スペイン本国へ持ち込まれた直後のカカオは、苦みが強烈な「新大陸の珍奇な飲み物」として紹介されます。その見方が変わったのは砂糖を加えて飲む方法が編み出されてからです。やがて、甘いカカオ飲料はスペイン宮廷の人々に愛飲されることになります。ただし、砂糖は高価な嗜好品で、砂糖を使用したカカオ飲料は庶民の口にまでは入らなかったようです。16世紀後半にスペイン経由でカカオはヨーロッパにもたらされます。その後、イタリア、イギリス、フランスなどのヨーロッパ諸国でも甘いカカオを飲む習慣が広がっていきます。

飲むから食べるへ

1828年、オランダ人のヴァン・ホーテンがカカオに含まれているココアバター (脂肪分) の一部を取り除く技術を発明しました。現在私達が馴染んでいるココアが出来上がります。ここから食べるチョコレートに向かい、道が開けます。ココアを作る過程でココアバターが余るのですが、その余ったココアバターを活用出来ないかと試行錯誤が繰り返されました。イギリスの菓子職人であるジョン・フライが、ココアバターを固形チョコレートを作る過程で添加することで、口どけが滑らかな固形チョコレートが出来ることを発見しました。彼は、1847年に「食べる板チョコレート」を製造する初めての会社をイギリスに設立します。その後、さらに技術の改良が進み19世紀後半には固形チョコレートはお菓子の材料になるにせよ、そのまま固形で食べるにせよ、現在目にするチョコレートの形にたどり着きます。

日本へ

日本にチョコレートが伝わったのは江戸時代の1797年 (寛政9年) のことです。鎖国中、外国との窓口であった長崎にオランダ人の手によって渡来します。「しよくらあと」 (チョコレート) の文字が書物で確認できます。ただし、食べるチョコレートが生まれるのは1847年のため、当時はカカオの飲み物だったと推測されます。国内で最初にチョコレートを販売するのは、東京、両国の米津風月堂で1878年 (明治11年) のことです。「猪口令糖」などと当て字で販売されていましたが、チョコレートが高価だったためか、あまり普及しません。チョコレートの消費が加速するのは、本格的な工業生産が始まる1918年 (大正7年) 以降になってからです。

バレンタインデー

バレンタインデーは、ローマ皇帝の迫害のもと、西暦270年の2月14日に殉教したバレンタイ司祭に由来します。死後、聖人として崇められ、2月14日は祭日とされました。英語では「St Valentine's Day」、つまり「聖バレンタインの日」と呼ばれます。バレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は19世紀後半のイギリスで始まりました。イギリスのチョコレート会社「キャドバリー」が贈答用のハート型など可愛らしいチョコレートボックスを販売。これが好評を博し、各地に広まっていきました。日本国内でも大いに盛り上がるイベントの一つで、チョコレートの年間消費量の約8分の1がこの時期に消費されています。

現在のチョコレート事情

現在ではチョコレートに含まれる多種多様な風味、カカオの生産地による特製の違い、カカオ分の含有量の表示など消費者のニーズを満たす様々な基準が打ち出されてきました。また、最近では「Bean to Bar」(ビーントゥバー) という言葉を耳にするようになりました。「Bean」は「カカオ豆」、「Bar」は「チョコレートバー (板チョコ)」を指します。カカオ豆の焙炒 (ロースト) からチョコレートの製造までの全工程を、小さな工房で一貫して管理、製造することを示します。アメリカで生まれ、ヨーロッパにも広がっている新しい潮流です。日本でも徐々にBean to Barの経営に携わるショコラティエが現れてきました。

カフェ ナカアカリのガトーショコラ

それでは舞台をカフェ ナカアカリのキッチンへ移しましょう。カフェ ナカアカリではチョコレート菓子としてガトーショコラをお作りしています。「チョコレート」と相性が良い飲み物に「コーヒー」があります。当店ではこの2つの材料を一つのケーキに使用しています。ガトーショコラは通販のページでもご案内していますので、ぜひご覧ください。


参考文献

  • ヘルガ・ルビンスタイン (今田美奈子監修、野中邦子訳、1990)、『チョコレートブック』 平凡社
  • 中村勇、2008、『おいしいスイーツの辞典 甘く、かわいいお菓子のストーリー』 成美堂出版
  • 武田尚子、2010、『チョコレートの世界史』 中公新書 
  • 佐藤清隆、古谷野哲夫、2011、『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン』 幸書房
  • 千石玲子、千石禎子、吉田菊次郎、2012、『仏英独=和<新>洋菓子辞典』 白水社
  • サラ・モス、アレクサンダー・バデノック (堤理華訳、2013)、『チョコレートの歴史物語』 原書房